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ぼしめしかためけるに、うちのおさへさせ給へば、年ごろはかゝる事もなきにいと心よからずおぼしめして、御幸あるなりけり。とかく申させ給ひ、めして仰を下されなどする程に、御くるまにて、「春の夜あけなむとす」といふ朗詠、又「十方佛土の中には」などいふ文を詠ぜさせ給ひて、佛の御名たびたび唱へさせ給ひける、聞く人みな淚ぐましくぞ思ひあへりけるとなむきこえ侍りし。かくて次の年御ぐしおろさせ給ひき。御とし四十にだに滿たせ給はねども、年ごろの御ほいも、又つゝしみのとしにて、年比は御隨身などもとゞめさせ給ひて具せさせたまはねども、白河の大炊の御門どのゝむかひに御堂つくらせ給ひて、供養せさせ給ふに、兵仗かへし給はらせ給ひて、めづらしく太上天皇の御ふるまひなり。うちつゞき八幡賀茂など御幸ありて、三月十日ぞ鳥羽殿にて御ぐしおろさせ給ふ。少しも御なやみもなくてかくおもほしたつ事を、世の人淚ぐましくぞ思ひあへる。御名は空覺とぞ聞こえさせ給ひし。五十日御佛事とてせさせ給ふほど大路にありく犬や、き積みてありく車牛などまで養はせ給ひ、御堂の池どものいをにも、庭の雀からすなどかはせ給ふ。山々寺々の僧にゆあむし、御布施などは云ひしらず、たゞの折も、かやうの御功德は、常の御營みなり。人のたてまつるもの、多くは僧の布施になむなりける。おはしますあたり、あまたの御所どもには、いひしらぬ、綾錦、唐綾、唐絹、さまざまのたから物、所もなきまでぞおきめでられ侍りけるを、御布施にせさせ給へば、來む世の御功德いかはかりか侍らむ。白河の院はおはします所、きらきらと掃きのごひて、たゞうちの見參とて、かみや紙にかきたる文の、日每にまゐらするばかり