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と問はれければ「既にめして侍り」といひければこそ、ともかくも申さで、罷り出でられけれ。重くあやまちける者おはします近きあたりに籠もりゐたりければ、うちつゝみたりけるに、もし東宮に逃げ入る事もやあるとて參りたりけり。かやうにのみあやぶまれ給ひて、東宮をも捨てられやせさせ給はむずらむとおもほしけるに、殿上人にて衞門權佐ゆきちかと聞こえし人の相よくする、おぼえありて、いかにも天の下知ろしめすべきよし申しけるかひありてかくならびなくぞおはしましゝ。このみかどの御母陽明門院と申すは、三條の院の御むすめなり。後朱雀院、東宮の御時より御息所におはしまして、このみかどをば、廿二にて生みたてまつらせ給へり。長元十年二月三日、皇后宮にたち給ふ。御とし廿五。其の時、江侍從たゝせ給ひきときゝて、

  「紫の雲のよそなる身なれどもたつと聞くこそうれしかりけれ」

となむよめりける。寬德二年七月廿一日、御ぐしおろさせ給ふ。治曆二年二月、陽明門院と聞こえさせ給ふ。御歌などこそ、いとやさしく見え侍るめれ。後朱雀院にたてまつらせ給ふ、

  「今はたゞ雲居の月をながめつゝめぐり逢ふべき程も知られず」

などよませ給へるむかしに耻ぢぬ御歌にこそ侍るめれ。この女院の御母、皇太后宮姸子と申すは、御堂の入道殿の第二の御むすめなり。

     紅葉のみかり

白河の院は後三條の院の一の御子におはしましき。その御母贈皇后宮茂子と申す。權大納言