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ゐの帝にて、久しくもおはしまさば、いかばかりめでたくも侍るべかりしに、次の年かくれさせ給ひにし、世にくちをしきとは申せども、くらゐの御時よろづしたゝめおかせ給ひて、東宮に位讓り申させ給ひて、かくれさせ給ひぬれば、今はかくてと、おぼしけるなるべし。ある人の夢に、こと國のそこなはれたるをなほさむとて、此の國をば去らせ給ふと見たることも侍りけり。又嵯峨に世をのがれて、籠もり居たる人の夢に、樂の聲そらに聞こえて、紫の雲たなびきたりけるを、何事ぞとたづねければ、院の佛の御國に生れさせたまふと見たりけるに、院かくれさせ給ひぬと世の中に聞こえけるにぞ、まさしき夢と、たのみはべりけるとなむ。

     みのりのし

むかしみこの宮におはしましゝ時より法の道をも知ろしめされけり。勝範座主といふ人、參り給へりけるに「眞言止觀かねまなびたらむ僧の、俗のふみも心得たらむ、一人たてまつれ。さるべき僧のおのづからたのみたるがなきに」と仰せられければ「顯密かねたるは、常の事にてあまたはべり。からのふみの心しりたる者こそありがたく侍れ。さるにても、尋ねて申し侍らむ」とてかへりて藥智といふ僧をぞ奉られけるに、わざと取りつくろひて車などをも借されざりけるにや。かりばかまに馬にのりたる僧の、座主のもとよりとて參りたりければ、召しよせて、御簾ごしにたいめさせ給ひけるに、蒔繪の御硯の函のふたに、止觀の一の卷をおきて、さし出ださせ給ひて、讀ませて問はせ給ひければ、明らかに說き聞かせ參らせけ