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  「世をすてゝ宿を出でにし身なれどもなほ戀しきはむかしなりけり」

とよみて、この女院へたてまつり給へる御返事に、

  「つかのまも戀しきことのなぐさまば二たび世をもそむかざらまし」

とよませ給へる、はじめは御ぐしそがせ給ひて、後に皆おろさせ給ふ心なるべし。かの中納言は後一條院の御おぼえの人におはしけるに、御忌におはして、宮のうちに御となぶらもたてまつらず侍りければ、いかにと尋ね給ひけるに、女官ども今の內に參りて、かきともしする人もなし、などきゝ給ふに、いとゞ悲しくて、帝のかくれさせ給ひて、六日といふに、かしらおろして、山ふかくこもりたまへりけり。年卅七になむおはしける。聞く人淚を流さずといふ事なくなむ侍りける。花山の僧正の、深草のみかどの御いみに、御ぐしおろし給ひけむにも、おくれぬ御心なるべし。猶つきせずおもほしけるにこそとかなしく、御返しもいとあはれに、御母后さこそはおもほしけめとおぼえて。かの東北院はこの院の御願にて、ちゝおとゞの御堂、法成寺のかたはらに作らせたまへり。山のかたち池のすがたもなべてならず、松のかげ花のこずゑも外にはすぐれてなむ見え侍りける。九月十三夜より望月の影まで、佛のみかほも光りそへられ給へり。御念佛はじまりける程に、上達部殿上人參り集まり給へるに、宇治のおほきおとゞの「朗詠侍りなむ」と勸めさせ給ひければ、齊信の民部卿、年たけたる上達部にて「極樂尊を念じたてまつる事一夜」とうち出だし給ひけむ、折ふしいかにめでたく侍りけむ。齊名といふ博士のつくりたるが、生けるよに、いかにいみじく侍りけむ。此の世