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など作らせ給ひけるとこそうけたまはりしか。乾坤といふはあめつちといふことにぞ侍りける。長久二年三月四日、花の宴せさせたまひて、歌の舌は鶯にしかずといふ題たまひて、桂を折る試みありと聞こえ侍りき。つぎの年のやよひの頃、堀川右大臣その時春宮の大夫と申しゝに、女御たてまつり給ひき。帥の內のおとゞのむすめの御はらなり。おとゞたちにも劣りたまはず、いとめでたく侍りき。神無月の比、おほ二條殿內大臣ときこえ給ひし、二の君內侍のかみになりてまゐりたまひて、方々華やかにおはしき。十一月には二の宮御書始とて、式部大輔舉周ときこえし博士、御注孝經といふ文敎へたてまつりき。藏人實政、尙複とて、それも御師なるべし。同じき四年の三月にも、佐國孝言時綱國綱などいふ者ども、試みさせ給ひき。弓塲殿にてぞ、作りてたてまつり給ひける。もと桂を折りたるは、博士をのぞみ、まだ折らぬ者は、ともしびの望みなむありける。句每にもろこしの博士の名などおきければ、つゞりかなふる人かたくなむありける。寬德元年八月に、大隅守長國但馬介になり、民部の丞生行おなじ國の掾になしたまひて、こまうどの、彼の國に着きたる、とぶらはせ給ひき。御なやみとて、明くる年正月十六日に、位さらせ給ひ御ぐしおろさせ給ふ。御年卅七になむおはしましゝ。世をたもたせたまふ事九年なりき。まだ若くおはしますさまを、惜しみ奉らずといふ人はなし。先帝廿九にておはしましき。これはされど、みそぢ餘りの春秋すぎさせ給へり。母きさきの、餘り永くおはしますに、かくのみおはしませば、御幸ひの中にも、御歎きに堪へざるべし。なほ御うまごの一の御子はみかど、二のみこは東宮におはしませば、いとや