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しき折ふしなりけるに、廿日ぞ解陣とかいひて、よろづ例ざまにて、御殿の御簾なども卷きあげられ、すこし晴るゝ景色なりけれど、なほ御けしきは盡きせずぞ見えさせ給ひける。神無月も過ぎぬれば、御忌すゑになりて、かの失せ給ひにし宮にて、御佛事あり。こずゑの色も風のけしきも、思ひしりがほなるさまなり。くれなゐ拂はぬ昔のあとも、法のにはとて、殊に淸めらるゝにつけても、折にふれて、あはれつきせざりけり。霜月の七日ぞ、內にははじめて、まつりごとせさせ給ふ。南殿に出でゐさせ給ひて、官奏などあるべし。後一條の院の中宮に侍りける、出雲の御といふが、この宮に侍りし伊賀の少將がもとに、

  「いかばかり君なげくらむかずならぬ身だにしぐれし秋のあはれを」

とよめりけり。秋の宮うちつゞき、秋うせさせ給へるに、いとらうありて、思ひよられけるもあはれにこそ聞こえはべりしか。またの年の七月七日、關白殿に、內より御消息ありて、

  「こぞのけふ別れし星もあひぬなりなどたぐひなき我が身なるらむ」

とよませ給ひて侍りけむこそ、いとかたじけなく、なさけ多くおはしましける御ことかなとうけ給はりしか。楊貴妃のちぎりも思ひ出でられて、星合の空、いかにながめ明かさせ給ひけむといとあはれに「尋ねゆくまぼろしもがな」などや、おぼしけむと推しはかられてこそ、傳へきゝ侍りしか。詩などをも、をかしく作らせ給ひけるとこそ聞こえ侍りしか。「秋のかげいづちかへらむとす」などいふことに、

  「路非山水誰堪

   跡任乾坤豈得尋」