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おそろしくおぼせどかくいひかけられなむ事遁るべき方もなくて常に御ぞのうちに劍をかくしてひまをうかゞひ給ふに、明くる年の十月に御門后の御膝を枕にして晝御殿ごもりたりしに、この事唯今にこそとおぼしゝに、おのづからなみだ下りて御門の御顏にかゝりしかば御門おどろき給ひてのたまふやう「われ夢に錦の色の小ぐちなはわが首をまつふと見つ。又おほきなる雨后の方より降りきてわが顏にそゝぐと見つ。いかなる事にか」と仰せられしに、后えかくしはて給はでふるひおぢ恐れ給ひて淚にむせびてありの儘の事を申し給ふを、御門きこしめして「この事后の御咎にあらず」とおほせられながら、このかみの王又后をもうしなはせ給ひにき。ゆゝしくあさましかりし事に侍りき。七年と申しゝにぞ、すまひははじまり侍りし。十五年と申しゝに、丹波の國にすみ給ひしみこの御女五人おはしき。御門これを皆まゐらすべきよし仰せ事ありしかば、奉りたまへりしに、おのおの時めかせたまひしに、中のおとゝのおはせし、かたちいとみにくゝなむおはしければもとの國へかへし遣しゝほどに、桂川をわたりて心うしとやおぼしけむ、車より落ちてやがてはかなくなり給ひき。あはれに侍りし事なり。さてそれよりかしこをおちくにと申しゝを、この頃はおとくにとぞ人は申すなる。その年の八月星の、雨の如くに降りしをこそ見侍りしか。淺ましかりし事に侍り。廿五年と申しゝに大神宮ははじめて伊勢の國におはしましゝなり。これより先に天降りおはしましたりしかども、所々に坐しまして、伊勢に宮うつりおはしますことは、天てる御神の御をしへにてこの年ありしなり。廿八年と申しゝに御門の御弟の御子うせ給ひにき。