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     第四懿德天皇〈三十四年九月八日崩。年七十七。葬大和國纎砂溪上陵。〉

次の御門懿德天皇と申しき。安寧天皇の第三の皇子。御母皇后淳名底中媛なり。安寧天皇の御世十一年正月壬戌の日東宮に立ちたまふ。御年十六。辛卯の年二月四日壬子位に即かせ給ふ。世をしらせ給ふ事三十四年なり。三十二年と申しゝにぞ孔子はうせ給ひにけるとうけたまはりし。

     第五孝昭天皇〈八十三年崩。年百十四。葬大和國掖上博多山上陵。〉

次の御門孝昭天皇と申しき。懿德天皇第一の御子。御母皇太后宮天豐津媛なり。懿德天皇の廿二年三月戊午の日東宮に立ち給ふ。御年十八。丙寅の年正月九日位に即き給ふ。御年三十二。世をたもたせ給ふ事八十三年なり。

     第六孝安天皇〈百二年崩。年百三十七。葬大和國玉手嶽上陵。〉

次の御門孝安天皇と申しき。孝昭天皇の第二の皇子。御母世襲足姬なり。孝昭天皇の御世六十八年正月に東宮に立ちたまひき。御年二十。己丑の年正月十三日辛卯位に即き給ふ。御年三十六。世をたもたせ給ふ事百二年なり。

     第七孝靈天皇〈七十六年崩。年百三十四。葬大和國片嶽馬坂陵。〉

次の御門孝靈天皇と申しき。孝安天皇第一の御子、御母皇太后姉押姬なり。孝安天皇の御世七十六年正月に東宮に立ちたまふ。御年二十六。父みかどうせ給ひて次の年辛未正月二日ぞ位に即き給ひし。御年五十三。位をたもち給ふ事七十六年なり。この御代とぞおぼえ侍る。天