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おはしましゝ年ぞ釋迦佛涅槃にいり給ひて後二百九十年にあたり侍りし。されば世あがりたりと思へども佛の在世にだにもあたらざりければやうやう世の末にてこそは侍りけれ。

     第二綏靖天皇〈三十三年五月崩。年八十四。十月葬大和桃花鳥田嶽陵。〉

次の御門綏靖天皇と申しき。神武天皇の第三の御子なり。御母事代主神の御女五十鈴姬なり。神武天皇の御世四十二年正月甲寅の日東宮に立ち給ふ、御年十九。庚辰の年正月八日己卯位に即き給ふ。御年五十二。世をたもち給ふ事三十三年。父御門うせ給ひて諒闇のほど世の事を御兄のみこに申しつけ給へりしを、この御兄のみこのおとゝたちを失ひ奉らむとはかり給へりしを、このおとゝのみこ心え給ひて、御はてなど過ぎて御門今一人の御兄のみこと御心をあはせてかの兄のみこを射させ奉らせ給ふに、この兄のみこ手をわなゝかしてえ射給はずなりぬ。御門その弓をとりて射殺し給ひつ。このえ射ずなりぬる兄のみこののたまふやう「われ兄なりといへども心よわくしてその身堪へず、汝はあしき心もちたる兄を既にうしなへり。速に位に即き給ふべし」と申し給ひしに、かたみに位をゆづりて誰も即き給はで四年過し給へりしかども、つひにこの御門、兄の御すゝめにて位に即き給へりしなり。

     第三安寧天皇〈三十八年十二月崩。年五十七。明年八月葬大和御陰井上陵。〉

次の御門安寧天皇と申しき。綏靖天皇の御子。御母皇太后宮五十鈴依媛なり。綏靖天皇の御世廿五年正月戊子の日東宮に立ち給ふ。御年十一。父御門うせ給ひて明くる年十月廿一日ぞ位につき給ひし。御年二十。世をたもち給ふ事三十八年なり。