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その世に見給へしことは、猶末までもいみじきことゝ覺え侍るぞ。人々きこしめせ。この座にて申すははゞかりある事なれど、かつは若く候ひしほど、いみじと身にしみて思ひ給へし罪も今にうせ侍らじ。今日この伽藍にて懺悔仕うまつりてむとなり。六條式部卿の宮と申しゝは延喜の帝の一つ腹の御兄弟に坐します。野の行幸せさせ給ひしに、この宮供奉せしめ給ふべかりけれど、京の程遲參せさせ給ひしかば桂の里にぞ參りあはせ給へりしかば、御輿留めて先だて奉らせ給ひしに、なにがしといひし犬かひの、犬の前足を二つながらに肩にひきこして深き河の瀨渡りしこそ行幸につかうまつり給へる人々さながら興じ給はぬなく、御門も興ありげにおぼしたる御氣色にこそ見えおはしましゝか。さて山ぐちいらせ給ひしほどに、しらぜうといひし御鷹の鳥をとりながら御輿の鳳のうへに飛び參りてゐて候ひし。やうやう日は山の端に入がたに光のいみじうさして山の紅葉錦をはりたるやうなるに、鷹の色はいと白くて、雉子は紺靑のやうにて、羽うちひろげて居て候ひしほどは、まことに雪少しうち散りて、折ふしとり集めて、さる事やは候ひしとよ。身にしむばかり思ひ給へしかば、いかに罪得侍りけむとて、爪彈きはたはたとす。大かた延喜の帝常にゑみてぞおはしましける。そのゆゑは、「まめだちたる人には物いひにくし、うちとけたる氣色につきてなむ人はものはいひよき。されば大小の事聞かむがためなり」とぞおほせ言ありける。それさることなり。けにくき顏には物いひふれにくきものなり。さて「我いかでかふ月なが月にしにせじ。すまひのせち九日のせちのとまらむが口をしきに」とおほせられけれど、九月にうせさせ給