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して御帳の內にておほしたて奉らせ給ふ。北野におぢ申させ給ひてなりけり。天曆の御門をばいとさもまもり奉らせ給はず、いみじき折ふしに生れさせ給へるぞかし。朱雀院生れおはしまさずは、藤氏のさかえいとかうしも侍らざらまし。さて位に即かせ給ひて將門がみだれ出で來てその御願にてとぞ承りし。その東遊の歌、貫之のぬしぞかし、集にもかきて侍るは。

  「松もおひまたもこけむすいは淸水ゆくすゑとほくつかへまつらむ」」」

といへば、またしげき、「「この翁もそのぬしの申されつるがごとくだくだしき事は申さじ。おなじ事のやうなれど、寬平延喜などの御讓位のほどの事などはいとかしこくたしかに覺え侍るをや。伊勢の君の弘徽殿の壁に書きつけ給へりし歌こそは、そのかみ哀なる事と人申しゝか。

  「わかるれどあひも思はぬもゝしきを見ざらむことのなにか悲しき」。

法皇の御かへし、

  「身一つのあらぬばかりをおしなべてゆき歸りてもなどかみざらむ」」」

といへば、傍なる人「「法皇のかゝせ給へりけるを、延喜の後に御覽じつけて、傍に書きつけさせ給へるとも承るはいづれかまことならむ。おなじ御門と申せど、その御ときに生れあひて候ひけるは、あやしの民のかまどまで、やんごとなくこそ。大に寒きころほひ、いみじう雪降りさえたる夜は、諸國の民百姓いかに寒からむとて御衣をこそ夜のおとゞより投げ出しおはしましければ、おのれらまでも惠み憐びられ奉りて侍る身とおもだゝしうこそは。されば