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ひて九日のせちは其よりとまりたるなり。その日左衞門の陣の前にて御鷹ども放たれしは、哀なりしものかな。とみにこそ飛びのかざりしか。公忠の辨をば大方のことにとりてもやんごとなきものに思しめしたりしなかにも、鷹のかたざまにはいみじう興せさせ給ひしなり。日々に政ごとを勤め給ひて、馬をいづこにぞや立て給ひて、事はつるまゝにこそ中山へはいませしか。官のつかさの辨の曹司の壁にはその殿のたかのものは未だつきて侍らむ。くぜのとりかたのゝとりのあぢはひはまゐりしりたりき。かたへは「そらごとをのたまふにこそ。試み奉らむ」とて、みそかに二所の鳥をつくりまぜて、しるしをつけて人のまゐりたりければ、いさゝかとりたがへず、「これは久世の、これは交野のなり」とこそまゐりしりたりけれ。かゝりければ、「ひたぶるの鷹飼にて侍ふものゝ、殿上に侍ふこそ見苦しけれ」と延喜に奏し申す人のおはしけれど、「公事をおろかにして狩をのみせばこそ罪はあらめ。一度まつりごとをもかゝで、おほやけ事をよろづ勤めて、後にともかくもあらむはなでふ事かあらむ」とこそ仰せられけれ。いで又いみじくはべりしことは、やがておなじ君の大井河の行幸に、とみの小路の御息所の御腹の御子の七歲にてまひせさせ給へりしばかりの事こそ侍らざりしか。萬人しほたれぬ人侍らざりき。あまり御かたちの光るやうにし給ひしかば、山の神めでゝとり奉り給ひてしぞかし。その御ときに、いとおもしろき事ども多く侍りきや。さて大かた申し盡すべきならず。まづ申すべき事も唯覺ゆるにしたがひてしどけなく申さむ。法皇の所々す行しあそばせ給ひて、宮瀧御覽ぜしほどこそいみじう侍りしか。そのをり菅原