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人々などの見え侍りしに心えずあやしくて、「何事ぞ何事ぞ」と人ごとに問ひ候ひしかば「式部卿の宮、御門にゐさせ給ふとて、大殿をはじめ奉りて皆人まゐらせ給へるなり」とて急ぎ罷りしなどぞ物覺えたる事にて見給へし。又七つばかりにや、元慶六年ばかりにや侍りけむ、式部卿宮の侍從と申して、寬平の天皇、常に狩をこのませおはしまして、霜月の廿餘日のほどにや、鷹狩に式部卿宮より出でおはしましゝ御供に走り參りてはべり。賀茂のつゝみのそこそこなる所に侍從殿鷹つかはせ給ひて、いみじう興にいらせ給へるほどに、俄に霧たちて、世間もかいくらがりて東西も覺えず、くれのいぬるとやとおぼえて、藪の中にたふれふしてわなゝきまどひ候ふほどに、時中ばかりや侍りけむ、後にぞうけたまはれば、賀茂の明神顯れおはしまして、侍從殿に物申させおはしける程なりけり。その事は世に日記しおかれて侍るなればなかなか申さじ。しろしめしたらむ。あはそかに申すべきにも侍らず。さて後六年ばかりありて賀茂の臨時の祭はじまりけむ、位に即かせおはしましゝ年とぞおぼえはべる。その日の酉の日にて侍りければ、やがて霜月のはての酉の日にては侍るぞ。はじめたるあづまあそびの歌、敏行の中將ぞかし。

  「ちはやぶる賀茂のやしろの姬小松よろづ代までもいろはかはらじ」。

古今に入りて侍り。皆人しろしめしたる事なれど、いみじくよみ侍るぬしかな。今に絕えずひろごらせ給ふ。御末に、御門と申せどかくしもやおはします。八幡の臨時の祭、朱雀院の御時よりぞかし。朱雀院生れさせ給ひて三年はおはします。殿の御格子參らず、夜畫火をとも