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     八幡臨時祭始事

     九月九日節止事

いといとあさましくめづらかにつきせず二人かたらひしに、この侍「「いといと興ある事をもうけたまはるかな。さても物の覺えはじめは何事ぞや、それこそまづ聞かまほしけれ。語られよ」」といへば、世繼、「「六七歲より見聞き侍りし事はいとよくおぼえ侍れど、そのことゝなき事は證なければ用ゐる人も候はじ。九つに侍りし時の大事を申し侍らむ。小松の御門のみこたちにておはしましゝ時の御所は皆人しりて侍り。おのが親の候ひし所、大炊の御門よりは北、町じりよりは西にぞ侍りし。されば宮の傍にて、常に參りてあそび侍りしかば、いと閑散にてこそおはしましゝか。きさらぎの三日はつうまといへど、甲午最吉日常よりも世こぞりて稻荷まうでにのゝしりしかば、父のまうで侍りし供にしたがひまかりて、さは申せどをさなきほどに坂のこはきを登り侍りしかば、こうじてえその日の中に還向仕うまつらざりしかば、父がやがてその御社の禰宜の大夫が後見仕うまつりて、いとうるさくて候ひし宿にまかりよりて、一夜は宿り候ひて又の日歸り侍りしに、東の洞院よりのぼりまかるに大炊の御門より西ざまに人々のさゝとはしれば怪しくて見候ひしかば、我が家のほどにしも、いとくらうなるまで人たちこみて見ゆるに、いとゞおどろかれて、もし燒亡かと思ひてかみを見上ぐれば烟もたゝず。さは大きなるつゐぶくかなと、かたがたに心もなきまで惑ひまかりしかば、小野宮の程にて上達部の御車や、鞍おきたる馬ども、かうぶりうへのきぬなど着たる