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れ。「「一日片時生きて、世にめぐらふべきこゝちもし侍らざりしかど、かくまでさぶらふはいよいよひろごりさかえおはしますを見奉り悅び申さむとに侍り。さてまたの年の五月廿四日こそは冷泉院は誕生せしめ給へりしか。それにつけて、いとゞこそ口をしきをりのうれしさ、かばかりもおはしまさゞりしかな」」といへば、世繼「「しかしかと快く思へるさまおろかならず。朱雀院、村上などのうち續き生れおはしましゝは、又いかになどいふほどあまりにおそろしうぞ。又世繼が思ふことこそ侍れ。便なき事なれど、あすともしぬ身にはべれば唯申してむ。この一品宮の御ありさまのゆかしく覺えさせ給ふにこそ、又命をしう侍れ。その故は、生れおはしまさむとて、いとかしこき夢想見給ひしなり。さおぼえ侍りし事は、故女院この大宮など孕まれさせ給はむとてみえし、唯同じさまなる夢に侍りしなり。それにて萬推し量られさせ給ふ御ありさまなり。皇太后宮の宮にいかで啓せしめむと思ひ侍れど、その宮のへんの人にこそえあひ侍らぬが口をしさに、こゝら集り給へるなかに、もしおはしましやすらむと思ひ給へて、かつはかくは申し侍るぞ、行く末にもよくいひけるものかなとおぼしあはする事も侍りなむ」」といひしをりこそ、こゝにありとてさしいでまほしかりしか。


大鏡卷之八

     賀茂臨時祭始事