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の中の人の申すやう「大宮入道せしめ給ひて、太上天皇の御位とならせ給ひて女院となむ申すべき。この御寺に戒壇たてられて御受戒あるべきなれば、世の中の尼ども參りてうくべきなり」とてよろこびをこそなすなれ。この世繼がおんなどもゝかゝる事を傳へ聞きて申すやう、おのれもその折にだにしらがのすそそぎ捨てむとなむ。何か制する」とかたらひ侍れば、「何せむにか制せむ。たゞしさらむ後には、若からむめのわらはべもとめて、えさすばかりぞ」となむいひ侍れば「我がめひなる女ひとりあり。それを今よりいひかたらはむ。いとさしはなれたらむも情なき事なり。近くも遠くも身のためにおろかならむ人を、今さらによすべきかは」となむかたらひ侍る。「やうやう衣袈裟などのまうけに、よききぬ一二疋もとめ侍るなり」などいひて、さすがにいかにぞや、ものあはれげなる氣色のいでくるは、女どもに背かれむことの心ぼそきにやとぞ見え侍りし。さて今年こそは天變しきりにし、世の妖言などよからず聞え侍るめれ。かんの殿のかく懷姙せしめ給ひ、院の女御殿の常の御惱の中にも今年となりてはひまなくおはしますなりなどこそおそろしう承はれ。いでやかうやうの事うち思ひ續け申せば、昔の事こそ唯今のやうにおぼえ侍れ」」など見かはして、繁樹がいふやう「「いであはれ、かくさまざまにめでたき事ども、哀にもそこら多く見聞き侍れど、猶我がたからの君に後れ奉りたりし折のやうに物の悲しく思ひ給へらるゝをりこそ侍らね。八月十日あまりの事に候ひしかば、折さへこそ哀に、時しもあれと思ひ侍りしものかな」」とて鼻度々かみて、えもいひやらずいみじと思ひたるさま、まことにその折もかくこそはと見えた