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給へり」とこそ申しけれ。いみじかりける上手かな。あてたがはせ給へる事やはおはしますめる。帥のおとゞは大臣まですがやかになり給へりしを、はじめよしとはいひけるなめり。いかづちのおちぬれど又もあがるものを、星のおちて石となるにぞ譬ふべきにや。それこそかへりあがる事なけれ。をりをりにつけたる御かたちなどは、げに永きおもひいでとこそは人申すめれ。中にも三條院の御時賀茂の行幸の日、雪のことのほかにいたう降りしかば、御ひとへの袖をひきいでゝ、御扇をたかくもたせ給へるに、いと白く降りかゝりたれば「あないみじ」とてうち拂はせ給へりし御もてなしはいとめでたくおはしましゝものかな。上の御ぞは黑きに、御ひとへぎぬはくれなゐの華やかなるあはひに雪の色ももてはやされて、えもいはず坐しましゝものかな。高名のなにがしといひし御馬いみじかりしあくめなり。あはれそれを奉り鎭め給へりしはや。三條院もその日の事をこそ思しめしいでおはしますなれ。御病のうちにも、「賀茂の行幸の日の雪こそ忘れがたれけれ」と仰せられけむこそ哀に侍れ。かく世間のひかりにておはします殿の、一年ばかり物をやすからず思しめしたりしよ、いかに天道御らんじけむ。さりながらもいさゝかひげし御心やは徹させ給へりし。おほやけざまの公事作法ばかりにはあべき程にふるまひ、時たがふることなく勤めさせ給ひて、うちうちには所もおき聞えさせ給はざりしぞかし。帥殿の南の院にて人々集めて弓あそばしゝにこの殿渡らせ給へれば、思ひかけずあやしと中關白殿おぼし驚きて、いみじう饗應し申させ給ひて、下﨟におはしませど、さきに立て奉りて、まづ射させ奉り給ひけるに、帥殿の矢かず今