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ふたつおとり給ひぬ。中關白殿、又御前に侍ふ人々も「今二度のべさせ給へ」と申してのべさせ給へりけるに、安からずおぼしなりて、「さらばのべさせ給へ」と仰せられて、又射させ給ふとて仰せらるゝやう、「道長が家より御門后立ち給ふべきものならば、この矢あたれ」と仰せらるゝに、おなじものを中心には當るものかは。次に帥殿射たまふに、いみじう臆し給ひて御手もわなゝき候ふにや、的のあたり近くだによらず無邊世界を射給へるに、關白殿色靑くなりぬ。又入道殿射させ給ふとて「攝政關白すべきものならばこの矢當れ」とおほせらゝに始めとおなじやうに的のわるゝばかり射させ給ひつ。饗應しもてはやし聞えさせたまへる興もさめてことにがうなりぬ。父おとゞ、帥殿に、「なにかいる。ないそいそ」と制せさせ給ひて事さめにけり。入道殿矢もどして、やがて出でさせ給ひぬ。その折は左京大夫とぞ申しゝ。弓をいみじく射させ給ひしなり。又いみじく好ませ給ひしなり。けうに見ゆべき事ならねども人のさまのいひ出で給ふことのおもむきより、かたへは臆せられ給ふなめり。又故女院の御石山詣に、この殿は御馬にて帥殿は車にて參り給ふに、さはる事ありて粟田口より帥殿かへり給ふとて、院の御車のもとに參り給ひてあない申させ給ふに、御車もとゞめたればながえおさへて立ち給へるに、入道殿は御馬を押しかへして、帥殿の御うなじのもとにいと近ううちよらせ給ひて、「疾くつかうまつれ。日の暮れぬるに」とおほせられければ、あやしくおぼされて見かへり給へれど、驚きたる御氣色もなく、とみにものかせ給はで、「日くれぬ。疾く疾く」とそゝのかせ給ふを、いみじう安からずおぼせどいかゞはせさせ給はむ、やを