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給ふに、いとあさましうおぼしめさる。こと殿達の御けしきはいまにもなほなほらでこの殿のかくて參り給へるを、御門より始め感じのゝしられ給へど、うらやましきにや、又いかなるにか物もいはでぞ侍ひ給ひける。猶疑はしく思しめされければ、つとめて藏人して「削りくづを遣し見よ」と仰せ言ありければ、もていきておしつけて見たうびければつゆたがはざりけり。そのけづりあとはいとけざやはやかにて侍るめり。末の世にも見る人はなほあさましきことにぞ申しゝかし。故女院の御修法して、飯室權僧正のおはしまし候ふ伴僧にて相人の候ひしを、女房どもの呼びて相せられけるついでに「內の大臣殿はいかゞおはする」と問ふに、「いとかしこうおはします。中宮大夫殿こそいみじくおはしませ」といふ。又栗田殿をとひ奉れば、「それもいとかしこうおはします。大臣の相おはします。又あはれ中宮大夫殿にこそいみじうおはしませ」といふ。また權大納言殿を問ひ奉れば、「それもいとやんごとなくおはします。いかづちの相おはします」と申しければ「いかづちはいかなるぞ」と問ふに、「ひときはいと高くなれどのちどものなきなり。されば御末いかゞおはしまさむと見えたり。中宮大夫殿こそかぎりなくきはなくおはしませ」とこと人をとひ奉る度にはこの入道殿を必ずひきそへ奉りてほめ申す。「いかにおはすればかく度ごとには聞え給ふぞ」といへば、「第一の相には虎子如渡深山峰なりと申したるに、聊かもたがはせ給はねばかく申し侍るなり。このたとひは虎の子のけはしき山の峰をわたるが如しと申すなり。御かたちようて、いはゞ毘沙門のいきほひ見奉るがやうにおはします、御さうかくの如しといへば、誰よりもすぐれ