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と申し給ひければ、さる所おはしますみかどにて、「いと興あることなり。さらばいけ。道隆はぶらく院、道兼は仁壽院の塗籠、道長は大極殿へいけ」とおほせられければ、よその君たちはびんなきことをも奏してけるかなと思ふ。又承り給へる殿ばらは御氣色かはりてやくなしとおぼしたるに、つゆさる御氣色もなくて、「私の從者をば具し候はじ。この陣の吉上にまれ瀧口にまれ一人、昭慶門まで送れと仰せごとたべ。それより內に一人入り侍らむ」とまうし給へば、「證なき事にこそ」と仰せらるれば、「げに」とて御手箱におかせ給へる刀さして立ち給ひぬ。今二所もにがむにがむおのおのおはさうじぬ。ね四つと奏してかく仰せられ議するほどに丑にもなりにけむ。「道隆は右衞門の陣よりいでよ。道長は承明門より出でよ」とそれをさへ分たせ給へば、しかおはしましあへるに、中關白殿、陣まで念じておはしたるに、宴の松原のほどにそのものともなき聲どもの聞ゆるに、すぢなくてかへり給ふ。粟田殿は露臺のとまでわなゝくわなゝくおはしたるに、仁壽殿の東面のみぎりのほどに軒とひとしき人のあるやうに見え給ひければ、ものもおぼえで、「身のさぶらはゞこそ仰せ事もうけたまはらめ」とておのおのかへり參り給へれば、御扇をたゝきて笑はせ給ふに、入道殿はいと久しう見えさせ給はぬを、いかゞと思しめすほどにぞ、いとさりげなく事にもあらずげにて參らせたまへる。「いかにいかに」と問はせ給へば、いとのどやかに、御刀に削られたるものをとり具して奉らせ給ふに、「こは何ぞ」と仰せらるればたゞにて歸り參りて侍らむは證さぶらふまじきによりて、高みくらの南おもての柱のもとを削りてとりて候ふなり」とつれなく申し