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とまうしき。贈太政大臣總繼の大臣の御むすめなり。このみかど淳和天皇の御とき天長八年辛亥東六條の家にて生れ給ふ。御親の深草のみかどの御時、承和十三年丙寅正月七日四品し給ふ。御年十六。嘉祥三年庚午五月中務卿になりたまふ。御年二十。仁壽元年辛未十一月十一日三品にのぼり給ふ。御年二十二。貞觀六年甲申正月十六日、上野の大守かけさせたまふ。御年三十四。同八年丙戌正月十三日太宰帥に遷兼す。御年三十六。同十二年庚寅二月七日二品に昇りたまふ。御年四十。同年上野大守、同十八年丙申十二月廿六日式部卿にならせ給ふ。御年四十六。元慶六年壬刁正月七日一品にのぼらせ給ふ。御年五十二。同八年甲辰二月四日位に即きたまふ。御年五十四。世をしらせたまふこと四年。小松のみかどと申す。この御ときにふぢつぼのうへの御つぼねのくろどはあきたると聞きはべるはまことにや。〈或本に仁和三年八月廿六日うせさせ給ふ。御とし五十八。〉

     五十九代〈この御門業平の中將と相撲とりたまひて、負けてかうらん破れたることあり。おもひ人の時なり。〉

次の御門、亭子の御門と申しき。小松の御門の第三の王子なり。御諱さだみ、御母皇太后宮いみな班子と申しき。二品式部卿贈一品太政大臣中野親王の御むすめたり。この御門、貞觀九年丁亥五月五日生れたまふ。元慶八年甲辰四月十三日源氏になり給ふ。御年十八。王侍從など聞えて、殿上人にておはしける時、殿上のごいしの前にて業平の中將とすまひとらせ給ひける程に、ごいしに打ちかけられて、高欄折れにけり。そのをれめ今に侍るなり。仁和三年丁未八月廿六日東宮に立たせ給ひて、同じ日位に即かせ給ふ。御年廿一。世をしらせ給ふこと十