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こそ侍りしか。さて式部卿宮の生れさせ給へるよろこびにこそはめしかへされたまへれ。さて大臣になぞらふる宣旨かうぶらせ給ひて、あるき給ひしありさまもいとおちゐても覺え侍らざりき。いと見苦しき事のみいかに聞え侍りしものなとて內に參らせ給ひけるに、北の陣より入らせ給ひて西ざまにおはしますに、入道殿も侍はせ給ふ程なれば、梅壺の東の塀のはざまに下人どものいと多く居たるを、この帥殿の御供の人々いみじく拂へば、行くべき方のなくて梅壺の塀の內にはらはらと入りたるを、これはいかにと殿御らんず。あやしと人々見れど、さすがにえともかくもせぬに、なにがしといひし御隨身のそらしらずして、「何にか」といたうはらひ出せば、又とざまにいとらうがはしく出づるを帥殿の供の人々この度ははらひあへねば、ふとり給ひたる人とてすがやかにもえ步み給はで、登華殿のほそどのゝ蔀に押し立てられ給ひて、「やゝ」と仰せられけれど、せばきところにて雜人いと多くはらはれておしかけられ奉りぬれば、とみにえのかでいとこそふびんに侍りけれ。それはげに御罪にもあらねども、唯華やかなる御ありきふるまひをせさせ給はずば、さやうに輕々なる事おはしますべきことかはとぞかし。又入道殿御嶽にまゐらせ給へりし道にて、帥殿の方より便なき事あるべしと聞えて、常よりも世をおそれさせ給ひてたひらかに歸らせ給へば、「かの殿もかゝる事聞えたりけり」と人の申せば、いとかたはらいたくおぼされながら、さりとてあるべきならねば參り給へり。道のほどの物語などせさせ給ふに、帥殿いたく臆し給へる御氣色のしるき、をかしくも又さすがにいとほしくもおぼされて、「久しくすぐ六つかうまつら