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でいとさうざうしきに、今日あそばせ」とてすぐ六の秤を召しておしのごはせ給ふに、御氣色こよなうなほりて見え給へば、殿をはじめ奉りて參り給へる人々、あはれになむ見奉りける。さばかりの事を聞かせ給はむにすさまじくもてなさせ給ふべけれど、入道殿はあくまで情おはします御本性にて、人のさ思ふらむ事をばおしかへしなつかしくもてなさせ給ふなり。この御ばくやうはうちたゝせ給ひぬれば、二所ながらはだかにこしからませ給ひてよなか曉まであそばす。心をさなくおはする人にて、便なき事もこそ出でくれと人はうけ申さゞりけり。いみじき御かけ物どもこそ侍りけれ。帥殿はふるきものどもえもいはぬ、入道殿はあたらしきが興ある、をかしきさまにしなしつゝぞかたみにとりかはさせ給ひけれど、かやうの事さへ帥殿は常にまけ奉らせ給ひてぞまかでさせ給ひける。かゝれど唯今は一の宮おはしますをたのもしきものにおぼし、世の人もさはいへど、したには追從しおぢ申したりし程に、今の御門東宮さし續き生れさせ給へりしかば、世をおぼしくづほれて、月ごろ御病もつかせ給ひて、寬弘七年正月廿九日うせさせ給へ〈如元〉にしぞかし。御年三十七とぞ承りし。かぎりの御病とてもいたう苦しがり給ふ事もなかりけり。御しはぶき病にやなどぞ覺えける程におもり給ひければ、修法せむとて僧めせど參るものなきに、いかゞはせむとて道雅の君を御使にて入道殿に申し給ひにけり。夜いたうふけて人もしづまりにければ、やがて御格子のもとゐよりてうちしはぶき給ふ。「誰ぞ」と問はせ給へば御なりの申して、「しかじかの事にて修法始めむとつかうまつれば、阿闍梨にまうでくる人も候はぬを、給はらむ」と申し給へ