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通ひまゐり給ふこと、あまりこといでゝこそは宮もきこしめして「たちはきどもして蹴させやせましと思ひしかど、故おとゞの事をなきあとにもいかゞといとほしかりしかばさもせざりし」とぞ仰せられける。この御あやまちより、源宰相、三條院の御時は殿上もしたまはで地下の上達部にておはせしに、この御時にこそは殿上し、檢非違使の別當などになりてうせ給ひにしか。今ひとつの御腹のおほい君は冷泉院の女御にて、三條院、彈正宮、帥宮の御母にて、三條院位に即かせおはしましゝかば贈皇后宮と申しき。かの三人の宮たちをおほぢ殿殊の外にかなしう申させ給ひき。世の中にすこしの事もいでき、かみもなりなゐもふるときは、まづ東宮の御方に參らせ給ひて、をぢの殿ばらそれならぬ人々などを、「うちの御方にはまゐれ。この御方には我侍はむ」とぞ仰せられける。雲形といふ高名の御帶は三條院にこそは奉らせたまへれ。かこの裏に「東宮にたてまつる」と刀のさきして自筆にかゝせ給るなり。この頃は一品の宮にとこそうけ給はれ。この東宮の御おとゞの宮たちは少し輕々にぞおはしましゝ。師の宮のまつりのかへさ、和泉式部とあひのらせ給ひて御覽ぜしさまもいとけうありきやな。御車の口のすだれを中よりきらせ給ひて、我が御方をば高う上げさせ給ひ、式部のかたをばおろして、きぬながら出させて、くれなゐの袴に赤き色紙のものいみひろきつけて土とひとしう下げられたりしかば、いかにぞ物見よりはそれをこそ人見るめりしか。彈正の宮のわらはにおはしましゝ時の御かたちの美くしげさははかりもしらず、輝くとこそは見えさせ給ひしに、御元服おとりの殊の外にせさせ給ひにしをや。この宮達は御心の少し