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でたくおはしませば、ことわりとて三條院の東宮にて御元服せさせ給ふ夜の御そひぶしに參らせ給ひて、三條院もにくからぬものに思し召したりき。夏いと暑き日わたらせ給へるに、御前なるひをとらせ給ひて、「これしばしもち給ひたれ。まろをおもひ給はゞ今はといはざらむ限は置き給ふな」とてもたせ聞えさせ給ひて御覽じければ、まことにかたの黑むまでこそ持ち給ひたりけれ。「さりともしばしぞあらむとおぼしゝに、あはれさ過ぎてうとましくこそ覺えしか」とこそ院は仰せられけれ。あやしき事は、源宰相賴定の君通ひ給ふと世に聞えて、さとに出で給ひにきかし。たゞならずおはすとさへ三條院聞かせ給ひて、この入道殿に「さることのあなるはまことにやあらむ」と仰せられければ、「まかりて見て參り侍らむ」とておはしたりければ、例ならず怪しくおぼして凡帳ひきよせ給ひけるを、押しやらせ給へれば、もと華やかなるかたちにいみじうけさうし給へれば常よりもうつくしう見えたまふ。春宮に參りたりつるに、「しかじか仰せられつれば見奉りに參りつるなり。空言にもおはせむに、しか聞しめされ給はむがいとふびんなれば」とて御胸をひきあけさせ給ひて、ちをひねり給へりければ御顏にさらと走りかゝるものか。ともかくものたまはせでやがて立たせ給ひぬ。東宮に參らせ給ひて、「まことに候ひける」とて、したまひつるありさまを啓せさせ給へれば、さすがにもと心苦しう思し召しならせ給へる御中なればにや、いとほしげにこそ思し召しけれ。內侍のかみは殿かへらせ給ひてのちに人やりならぬ御心づからいみじう泣き給ひけりとぞそのをり見奉りたる人かたり侍りし。東宮にさぶらひ給ひしほども宰相は