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ほこ院にて御病づきてうせさせ給へるぞかし。みまやの馬に御ずゐじは乘せて粟田口へ遣はしたるが、「あらはにはるばると見ゆる」などをかしき事に仰せられて、月のあかき夜はげかうしもせでながめさせけるに、目に見えぬものゝはらはらとまゐりわたしたりければ、さぶらふ人々はおぢさわげど、殿はつゆおどろかせ給はで、御枕がみなる太刀をひき拔かせ給ひて、「月見るとて上げたる格子をおろすは何物のするぞ。いとびんなし。もとのやうに上げわたせ。さらずばあしかりなむ」とおほせられければ、やがてまゐりわたしなど大方おちゐぬ事ども侍りけり。さて遂に殿ばらの御領にもならで、かく御堂にはなさせ給へるなめり。このおとゞの御君達、女君四ところ、男君五人おはしましき。女二ところ男三ところは攝津守藤原中正のぬしの御むすめの腹におはします。三條院の御母の贈皇后宮と女院大臣三人ぞかし。この御母いかにおぼしけるにか、いまだ若うおはしけるをり、二條の大路に出でゝゆふけとひ給ひければ、しらいがいみじくしろき女のたゞ一人ゆくがたちとゞまりて、「何わざしたまふ人ぞ。もしゆふけとひ給ふか。何事なりともおぼさむことかなひて、この大路よりも廣く長くとも榮えさせ給へよ」とうち申しかけてこそまかりにけれ。人にあらで、さるべきものゝしめし奉りけるにこそ侍りけめ。女君一人は女院の后の宮にておはしましゝ折の宣旨にておはしき。又對の御方と聞えし御腹のむすめ、おとゞいみじう悲しうし聞えさせ給ひて、十一におはせし折、內侍のかみになし奉らせ給ひて內ずみせさせ奉らせ給ひし。御かたちいとうつくしうて、御ぐしも十一十二のほどに絲をよりかけたるやうにて、いとめ