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事にも目のみまがひいろふ。もとめこはつる末に若やかなる上達部はかたぬぎており給ふ。にほひもなく黑き上のきぬにすあうがさねえびぞめの袖を俄に引きほころばしたるに、紅深きあこめの袂のうちしぐれたるに氣色ばかりぬれたる松はらをば忘れて紅葉の散るに思ひわたる。見るかひ多かるすがたどもにいと白くかれたる荻を高やかにかざして唯一返りまひて入りぬるはいとおもしろく飽かずぞありける。おとゞ昔のことおぼし出でられ中比しづみ給ひし世のありさまも目の前のやうにおぼさるゝに、そのよのことうち亂れ語り給ふべき人もなければ、ちじのおとゞをぞ戀しく思ひに聞え給ひける。入り給ひて二の車に忍びて、

 「誰かまた心を知りてすみよしの神世を經たる松にことゝふ」。御たゝうがみに書き給へり。尼君うちしをれたるかゝる世を見るにつけてもかのうらにて今はと別れ給ひしほど女御の君のおはせし有樣など思ひ出づるもいとかたじけなかりける身のすくせの程を思ふ。世を背き給ひし人も戀しくさまざまに物悲しきをかつはゆゝしとこといみして、

 「すみのえをいけるかひある渚とは年經るあまも今日や知るらむ」。おそくはびんなからむとたゞうち思ひけるまゝなりけり。

 「昔こそまづ忘られねすみよしの神のしるしを見るにつけても」とひとりごちけり。よひとよ遊び明し給ふ。二十日の月遙にすみて海のおもておもしろく見えわたるに霜のいとこちたうおきて松原も色まがひて、よろづの事そゞろ寒くおもしろさも哀さも立ち添ひたり。