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ろげたるを御覽ず。見もせぬといひたる所をあさましかりしみすのつまをおぼし合せらるゝに、御おもて赤みておとゞのさばかりことのついでごとに大將に見え給ふな、いはけなき御有樣なめればおのづからとりはづして見奉るやうもありなむと、いましめ聞え給ふをおぼし出づるに、大將のさることありしと語り聞えたらむ時いかにあばめ給はむと、人の見奉りけむ事をばおぼさで、えはゞかり聞え給ふ心のうちぞをさなかりける。常よりも御さしいらへなければすさまじくしひて聞ゆべきことにもあらねばひき忍びて例のかく「一日はつれなし顏をなむ、めざましうとゆるし聞えざりしを、見ずもあらぬやいかにあなかけかけしや」とはやりかに走り書きて、

 「今さらにいろにないでそ山櫻およばぬ枝にこゝろかけきと。かひなきことを」とあり。


若菜下

ことわりと思へどうれたくもいへるかな、いでやなぞかく異なる事なきあへしらひばかりをなぐさめにては、いかゞすぐさむ、かゝる人づてならでひとことをものたまひ聞ゆる世ありなむやと、思ふにつけても大方にては惜しくめでたしと思ひ聞ゆる院の御ためなまゆがむ心やそひにたらむ。つごもりの日は人々數多參り給へり。なまものうくすゞろはしけれど、そのあたりの花の色をも見てや慰むと思ひて參り給ふ。殿上ののりゆみ二月とありしを