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めり。けそうの人なむいかなることにかと心得がたく侍るを、猶の給はせよ。をさなき御程なれどかゝる御しるべに賴み聞え給ふやうもあらむ」などいへど「おぼしへだてゝおぼおぼしくもてなさせ給ふには、何事をか聞え侍らむ。疎くおぼしなりにければ聞ゆべきことも侍らず。唯この御文を人づてならで奉れとて侍りつる、いかで奉らむ」といへば「いとことわりなり。猶いとかくうたてなおはせそ。さすがにむくつけき御心にこそ」と聞えうごかして、几帳のもとにおし寄せ奉りたれば、あれにもあらで居給へるけはひこと人には似ぬ心地すればそこもとによりて奉りつ。「御返りとくたまはりて參りなむ」と、かくうとうとしきを心うしと思ひていそぐ。尼君御文ひきときて見せ奉る。ありしながらの御手にて紙の香など例の世つかぬまでしみたり。ほのかにみて例のものめでのさしすぎ人いとありがたくをかしと思ふべし。「更に聞えむ方なくさまざまに罪重き御心をば僧都に思ひ許しきこえて今はいかであさましかりし世のゆめかたりをだにと、いそがるゝ心のわれながらもどかしきになむ。まして人めはいかに」と書きもやり給はず。

 「法の師と尋ぬる道をしるべにておもはぬ山にふみまどふかな。この人はみや忘れ給ひぬらむ。こゝには行くへなき御かたみに見る物にてなむ」などいと細やかなり。かくつぶつぶと書き給へるさまのまぎらはむ方なきに、さりとてその人にもあらぬさまを思の外に見つけられ聞えたらむほどのはしたなさなどを思ひ亂れて、いとゞはればれしからぬ心はいひやるべき方もなし。さすがにうちなきてひれふし給へれば、いとよつかぬ御ありさまかな