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ぼしなすらむが苦しさに物もいはれでなむ。あさましかりけむありさまは珍らかなることゝ見給ひてけむを、さてうつしこゝろもうせたましひなどいふらむものもあらぬさまになりにけるにやあらむ。いかにもいかにも過ぎにし方のことを我れながら更にえ更にえ思ひ出でぬに、きのかみとかありし人の世の物語すめりし中になむ、見しあたりのことにやとほのかに思ひ出でらるゝことある心ちせし。その後とざまかうざまに思ひ續くれど更にはかばかしくも覺えぬに、唯一人物し給ひし人のいかでかとおろかならず思ひためりしを、まだや世におはすらむとそればかりなむ心にはなれず悲しき折々侍るに、今日見ればこの童の顏はちひさくて見し心ちするにもいと忍びがたけれど、今さらにかゝる人にもありとは知られで、止みなむとなむ思ひ侍る。かの人若し世に物し給はゞそれ一人になむたいめんせまほしく思ひ侍る。この僧都ののたまへる人などには更にありとしられ奉らじとこそ思ひ侍れ。かまへてひがことなりけりと聞えなしてもてかへし給へ」とのたまへば、「いとかたいことかな。僧都の御心はひじりといふ中にもあまりくまなく物し給へば、まさにのこいては聞え給ひてむや。後にかくれあらじ。なのめに輕々しき御程にもおはしまさず」などいひさわぎて「世に知らず心强くおはしますことぞ」と皆いひ合せて母屋のきはに几帳たてゝ入れたり。この子もさは聞きつれど、幼ければふといひよらむもつゝましけれど「まだ侍る御文いかでたてまつらむ。僧都の御しるべにはたしかなるを、かくおぼつかなく侍るこそ」とふしめにていへば「そゝや、あなうつくし」などいひて「御文御覽ずべき人はこゝに物せさせ給ふ