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合せ給はず、常もほこりかならずものし給ふ人がらなれど「いとうたて心うし」などいひて、僧都の御文見れば、「今朝こゝに大將殿の物し給ひて御ありさま尋ねとひ給ふに初よりありしやう委しく聞え侍りぬ。御志深かりける御中を背き給ひてあやしきやまがつの中にすけし給へること、かへりては佛のせめ添ふべき事なるをなむ、承り驚きはべる。いかゞはせむ、もとの御契りあやまち給はであいしうの罪をはるかし聞え給ひて一日のすけのくどくは、はかりなきものなれば猶賴ませ給へとなむ。ことことには自らさぶらひて申し侍らむ。かつかつこの小君聞え給ひてむ」とかいたり。まがふべくもあらず書きあきらめ給へれど、こと人は心もえず、「この君は誰にかおはすらむ。猶いと心うし。今さへかくあながちに隔てさせ給ふ」とせめられて少しとざまに向きて見給へば、この子は今はと世を思ひなりし夕暮にもいと戀しく思ひし人なりけり。同じ所にて見しほどはいとさがなくあやにくにおごりてにくかりしかど、母のいと悲しくして宇治にも時々ゐておはせしかば、少しをよすけしまゝにかたみに思へりしわらは心を思ひ出づるにも夢のやうなり。まづ母のありさまいと問はまほしくこと人々の上はおのづからやうやう聞けど、親のおはすらむやうはほのかにもえ聞かずかしと、なかなかこれを見るにいと悲しくてほろほろとなかれぬ。いとをかしげにて少しうち覺え給へる心ちもすれば「御はらからにこそおはすめれ。聞えまほしくおぼすこともあらむ。うちに入れ奉らむ」といふを、何か今は世にあるものとも思はざらむに、怪しきさまにおもがはりしてふと見えむも恥しと思へば、とばかりためらひて「げにへだてありともお