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はまだしきにいふな。なかなか驚きさわがむほどに、しるまじき人もしりなむ。その親の御思ひのいとほしさにこそかくも尋ぬれ」とまだきにいと口がため給ふを、をさなき心地にもはらからはおほかれど、この君のかたちをば似るものなしと思ひしみたりしに、うせ給ひにけりと聞きて、いと悲しと思ひわたるにかくのたまへば、いとうれしきにも淚の落つるを耻かしと思ひてまぎらはしに「をゝ」と荒らかに聞えゐたり。かしこにはまだつとめて僧都の御許より「よべ大將殿の御使にてこ君やまうで給へりし。ことのこゝろうけ給りしに、あぢきなく歸りておくし侍りてなむと、姬君に聞え給へ。みづから聞えさすべきことも多かれど今日明日すぐしてさぶらふべし」と書き給へり。これは何事ぞと尼君驚きてこなたへもてわたりてみせ奉り給へば、おもてうち赤みて物の聞えあるにやと苦しう物がくししけると恨みられむを思ひつゞくるに、いらへむ方なくて居給へるに「猶の給はせよ、心うくおぼし隔つること」といみじく恨みてことの心を知らねばあわたゞしきまで思ひ居たるほどに「山より僧都の御せうそこにて參りたる人なむある」といひ入れたり。怪しけれど「これこそは、さはたしかなる御せうそこならめ」とて「こなたに」といはせたれば、いと淸げにしなやなる童のえならずさうぞきたるぞ步みきたる。わらうださし出でたれば、簾垂のもとについゐて、「かやうにてはさぶらふまじくこそは、僧都はのたまひしか」といへば、尼君ぞいらへなどし給ふ。文とり入れて見れば「入道の姬君の御方に、山より」とて名書き給へり。あらじなどあらがふべきやうもなし。いとはしたなく覺えていよいよ奧の方に引き入られて人に顏も見