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文かきてとらせ給ふ。「時々は山におはしてあそび給へよ。すゞろなるやうにはおぼすまじきゆゑもありけり」とうち語らひ給ふ。この子は心もえねど文とりて御供にいづ。坂本になれば、「御前の人々すこしたちあがれて忍びやかにを」などのたまふ。小野にはいと深くしげりたる靑葉の山に向ひてまぎるゝことなくやりみづのほたるばかりを昔覺ゆるなぐさめにてながめ給へるに、例のはるかに見やらるゝ谷の軒端より、さき心ことにおひていとおほうともしたる火ののどかならぬ光を見るとて尼君達もはしに出で居たり。「たがおはしますにかあらむ、御前などいと多くこそ見ゆれ。ひるあなたにひきぼし奉れたりつる返事に大將殿おはしまして御あるじのことにはかにするを、いとよき折とこそありつれ。大將殿とはこの女二の宮の御をとこにやおはしつらむ」などいふもいとこの世とほく田舍びにたるや。誠にさにやあらむ、時々かゝる山路わけおはせし時いとしるかりし隨身の聲もうちつけにまじりて聞ゆ。月日のすぎ行くまゝに昔のことかく思ひ忘れぬも今はなにゝすべきことぞと心うければ、阿彌陀佛に思ひまぎらはしていとゞ物もいはで居たり。橫川に通ふ人のみなむこのわたりには近きたよりなりける。かの殿はこの子をやがてやらむとおぼしけれど、人め多くてびんなければ殿に歸り給ひて又の日珠更にぞいだしたて給ふ。むつましくおぼす人のことごとしからぬ二三人ばかりおくりにて、むかしも常に遣はしゝ隨身そへ給へり。人きかぬまに呼び寄せ給ひて「あこがうせにし妹の顏はおぼゆや。今は世になき人と思ひはてにしを、いとたしかにこそものし給ふなれ。疎き人にはきかせじと思ふを、いきて尋ねよ。はゝに