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きゆかりなるを、これをかつかつものせむ。御文ひとくだりたまへ。その人とはなくて、唯尋ね聞ゆる人なむあるとばかりの心をしらせ給へ」との給へば「なにがしこのしるべにて必罪え侍りなむ。ことのありさまは委しくとり申しつ。今は唯御みづからたちよらせ給ひてあるべからむことは、物せさせ給はむに、何の咎か侍らむ」と申し給へば、うちわらひて「罪えぬべきしるべと思ひなし給ふらむこそはづかしけれ。こゝには俗のかたちにて、今まで過ぐすなむいとあやしき。いはけなかりしより思ふ志ふかく侍るを、三條の宮の心ぼそげにたのもしげなき身ひとつをよすがにおぼしたるが、さりがたきほだしに覺え侍りてかゝづらひ侍りつるほどにおのづから位などいふこともたかくなり、身のおきても心にかなひがたくなどして、思ひながら過ぎ侍るには、又えさらぬことも數のみそひつゝすぐせどおほやけわたくしに遁れ難きことにつけてこそさも侍らめ。さらでは佛の制し給ふ方のことを僅にもきゝ及ばむことは、いかであやまたじとつゝしみて、心のうちは聖に劣り侍らぬものを、ましていとはかなきことにつけてしも重き罪うべきことは、などてか思ひ給へむ、更にあるまじきことに侍る。疑ひおぼすまじ。たゞいとほしき親の思ひなどを聞きあきらめ侍らむばかりなむ嬉しう心やすかるべき」など、昔より深かりし方の心おきてかたり給ふ。僧都もげにとうなづきていとたふときことなど聞え給ふ程に日も暮れぬれば中やどりもいとよかりぬべけれど、うはの空にて物したらむこそ猶びんなかるべけれと思ひわづらひて歸り給ふに、このせうとの童を、僧都めとゞめてほめ給ふ。これにつけて「まづほのめかし給へ」と聞え給へば、