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家のこにこそものし給ひけめ。いかなるあやまちにてかくまではふれ給ひけむにか」と問ひ申し給へば「なまわかんとほり」などいふべきすぢにやありけむ。こゝにももとよりわざと思ひしことにも侍らず、物はかなくて見つけそめては侍りしかど、又いとかくまでおちあふるべききはとは思ひ給へざりしを、珍らかに跡もなく消え失せにしかば、身をなげたるにやなどさまざまに疑ひおほくて、たしかなる事はえきゝ侍らざりつるになむ。罪かろめて物すなれば、いとよしと心やすくなむみづからは思ひ給へなりぬるを、はゝなる人なむいみじく戀ひ悲しぶなるを、かくなむ聞き出でたるとつげしらせまほしく侍れど、月比かくさせ給ひけるほい違ふやうに物さわがしくや侍らむ。親子の中の思ひたえず、かなしびにたへでとぶらひ物しなどし侍りなむかし」などのたまひて「さていとびんなきしるべとはおぼすとも、かのさかもとにおり給へ。かばかり聞きてなのめに思ひ過すべくは侍らざりし人なるを、夢のやうなる事どもを今だに語り合せむとなむ、思ひ給ふる」とのたまふ氣色いと哀と思ひ給へれば、かたちをかへ世を背きにきとおぼえたれど、かみひげをそりたる法師だにあやしき心は失せぬもあなり、まして女の御身といふものはいかゞあらむ、いとほしう罪えぬべきわざにもあるべきかなと味氣なく心みだれぬ。「罷りおりむこと今日明日さはり侍り。月たちての程に御せうそこを申させ侍らむ」と申し給ふ。いと心もとなけれどなほなほとうちつけにいられむもさまあしければ「さらば」とてかへり給ふ。かのせうとの童御供にゐておはしたりけり。ことはらからどもよりはかたちも淸げなるを呼び出で給ひて「これなむその人の近