Page:Kokubun taikan 02.pdf/658

提供:Wikisource
このページは校正済みです

て京にゐて奉りて後も三月ばかりはなき人にてなむものし給ひけるを、なにがしが妹故衞門督の方にて侍りしが尼になりて侍るなむ、一人もちて侍りし女子を失ひて後、月日は多くへだて侍りしかど、かなしびに堪へず歎き思ひ給へ侍るに、おなじ年のほどゝなむ見ゆる人の、かくかたちいとうるはしくきよらなるを見出で奉りて、觀音の賜へると喜び思ひてこの人いたづらになし奉らじとまどひいられて、なくなくいみじき事どもを申されしかば、後なむかのさかもとにみづからおり侍りて護身など仕うまつりしにやうやういき出でゝ人となり給へりけれど、猶このらうじたりけるものゝ身に離れぬ心地なむする。この惡しきものゝさまたげを遁れて後の世を思はむなど悲しげにの給ふ事どもの侍りしかば法師にてはすゝめも申しつべきことにこそはとて誠にすけせしめ奉りてしに侍る。更にしろしめすべきことゝはいかでかそらにさとり侍らむ。珍しき事のさまにもあるを、世語りにもし侍りぬべかりしかど聞えありて煩しかるべきことにもこそと、このおい人どものとかく申して、この月ごろおとなくて侍りつるになむ」と申し給へば、さてこそあなれとほのぎゝて、かくまでもとひ出で給へることなれど、むげになき人と思ひはてにし人を、さは誠にあるにこそはとおぼすほど夢の心地してあさましければ、つゝみもあへず淚ぐまれ給ひぬるを、猶僧都の耻かしげなるにかくまで見ゆべき事かはと思ひ返して、つれなくもてなし給へど、かくおぼしけることをこの世にはなき人と同じやうになしたることゝあやまちしたる心地して、罪深ければ「惡しきものにらうぜられ給ひけむも、さるべきさきの世の契なり、思ふにたかき