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りと聞き侍るはまことか、まだ年も若く親などもありし人なればこゝにうしなひたるやうに、かごとかくる人なむ侍るを」などの給ふ。僧都、さればよたゞ人と見えざりし人のさまぞかし。かくまでのたまふは輕々しくはおぼされざりける人にこそあめれと思ふに、法師といひながら心もなく忽にかたちをやつしけることゝむねつぶれていらへ聞えむやう思ひまはさる。たしかに聞き給へるにこそあめれ、かばかり心得給ひてうかゞひ尋ね給はむに、かくれあるべきことにもあらず、なかなかあらがひかくさむにあいなかるべしなどとばかり思ひえて、「いかなりけることにか侍りけむとこの月比うちうちに怪しみ思ひ給ふる人の御ことにやとて、かしこに侍る尼どもの初瀨に願侍りて詣でゝかへりける路に、宇治の院といふ所にとゞまりて侍りけるに、はゝのあまのらうけ俄におこりて、いたくなむわづらふと吿げに人のまうで來たりしかば、まかりむかひたりしに、まづ怪しき事なむとさゝめきて、親のしにかへるをばさしおきてもてあつかひ歎きてなむ侍りし。この人もなくなり給へるさまながらさすがに息は通ひておはしければ、昔物語にたま殿に置きたりけむ人のたとひを思ひ出でゝ、さやうなる事にやとめづらしがり侍りて、弟子ばらの中に驗あるものどもを呼び寄せつゝかはりがはりに加持せさせなどなむし侍りける。なにがしはをしむべき齡ならねど、母の旅のそらにて病おもきを助けて、念佛も心みだれずせさせむと、佛を念じ奉り思ひ給へしほどに、その人のありさま委しくも見給へずなむ侍りし。ことの心推し量り思ひ給ふるに天狗こだまなどやうのものゝ欺きゐてたてまつりけるにやとなむうけ給はりし。助け