Page:Kokubun taikan 02.pdf/655

提供:Wikisource
このページは校正済みです

ば、人の語り侍りしやうにてはさるやうもや侍らむと、似つかはしく思ひ給へらるゝ」とて今少し聞え出で給ふ。「宮の御事をいと耻しげにさすがに恨みたるさまにはいひなし給はで、かの事又さなむと聞きつけ給へらば、かたくなにすきずきしくもおぼされぬべし。更にさてありけりともしらず顏にて過ぐし侍りなむ」と啓し給へば「僧都の語りしに、いと物恐しかりし夜のことにて耳も留めざりしことにこそ。宮はいかでか聞き給はむ。聞えむ方なかりける御心のほどかなと聞けば、まして聞きつけ給はむこそいと苦しかるべけれ。かゝるすぢにつけていと輕くうきものにのみ世に知られ給ひぬめれば、心憂くなむ」とのたまはす。いと重き御心なれば必ずしもうちとけ世がたりにても人の忍びて啓しけむことを漏らさせ給はじなどおぼす。住むらむ山里はいづこにかあらむ、いかにしてさま惡しからず尋ねよらむ、僧都に逢ひてこそはたしかなる有樣も聞き合せなどしてともかくも問ふべかめれなど、唯この事をおきふし覺す。月ごとの八日は必ず尊きわざせさせ給へば藥師佛によせ奉るにもてなし給へるたよりに中堂に時々參り給ひけり。それよりやがて橫川におはせむとおぼして、かのせうとの童率ておはす。その人々にはとみに知らせじ、有樣にぞ隨はむとおぼせど、うち見む夢のこゝちにも哀をも加へむとにやありけむ、さすがにその人とは見つけながら怪しきさまにかたちことなる人の中にて憂き事聞きつけたらむこそいみじかるべけれと、よろづに道すがらおぼしみだれけるとや。