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 「あま衣かはれる身にやありし世のかたみの袖をかけてしのばむ」と書きて、いとほしくなくもなりけむ後に物のかくれなき世なりければ、聞き合せなどしてうとましきまでかくしけるとや思はむなどさまざま思ひつゝ「過ぎにし方の事は絕えて忘れ侍りにしを、かやうなる事をおぼし急ぐにつけてこそほのかに哀なれ」とおほどかにのたまふ。「さりともおぼし出づる事は多からむを、盡きせず隔て給ふこそ心うけれ。こゝにはかゝる世の常の色あひなど久しく忘れにければ、なほなほしく侍るにつけても昔の人あらましかばなど思ひ出で侍り。しかあつかひ聞え給ひけむ人世におはすらむや。かくなくなして見侍るだに猶いづこにかあらむ、そことだに尋ね聞かまほしく覺え侍るを、行くへ知らで思ひ聞え給ふ人々侍らむかし」とのたまへば「見し程までは一人はものし給ひき。この月比うせやし給ひぬらむ」とて、淚の墮つるをまぎらはして「なかなか思ひ出づるにつけてうたて侍ればこそ聞え出でね。へだては何事にか殘し侍らむ」と、ことずくなにのたまひなしつ。大將はこのはてのわざなどせさせ給ひてはかなくても止みぬるかなと哀におぼす。かの常陸の子どもは、かうぶりしたりしは藏人になし、我が御つかさのぞうになしなどいたはり給ひけり。童なるが中に淸げなるをば近くつかひならさむとおぼしたりける。雨など降りてしめやかなる夜、后の宮に參り給へり。お前のどやかなる日にて御物語など聞え給ふついでに「あやしき山里に年比まかり通ひ見給へしを、人のそしり侍りしもさるべきにこそはあらめ、誰も心のよるかたのことはさなむあると思ひ給へなしつゝ猶時々見給へしを、所のさがにやと心憂く思ひ給へなり