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ける。我が御北の方も哀と覺す方こそ深けれ、いふかひあり勝れたるらうらうじさなど物し給はぬ人なり。おだしきものに今はとめなるゝに、心ゆるびて猶かくさまざまにつどひ給へる御有樣どものとりどりにをかしきを、心ひとつに思ひ離れがたきを、ましてこの宮は人の御ほどを思ふにも限なく心ことなる御ほどに、取りわきたる御けしきにしもあらず、人目のかぎりばかりにこそと見奉り知るにわざとおほけなき心にしもあらねど、見奉る折ありなむやと、ゆかしく思ひ聞え給ひけり。衞門のかんの君も院に常に參り親しくさぶらひ馴れ給ひし人なれば、この宮をちゝみかどのかしづきあがめ奉り給ひし御心おきてなどくはしく見奉り置きて、さまざまの御定めありし比ほひより聞えより、院にもめざましとはおぼしのたまはせずと聞きしを、かくことざまになり給へるはいと口惜しく胸いたきこゝちすれば、猶得思ひ離れずそのをりより語らひつきにける、女房のたよりに御有樣なども聞き傅ふるを慰めに思ふぞはかなかりける。對の上の御けはひには猶おされ給ひてなむと世の人もまねび傅ふるを聞きては、かたじけなくともさるものは思はせ奉らざらまし、げにたぐひなき御身にこそあたらざらめと常にこの小侍從といふ御ちぬしをもいひはげまして世の中定めなきを、おとゞの君もとより本意ありておぼしおきてたる方に趣き給はゞとたゆみなく思ひありきけり。

三日ばかりの空うらゝかなる日六條院に兵部卿宮、衞門督など參り給へり。おとゞ出で給ひて御物語などし給ふ。「しづかなる住まひはこの頃こそいとつれづれにまぎるゝことなかりけれ。おほやけわたくしにことなしや。何わざしてかは暮すべき」などの給ひ