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し忘れず問はせたまはむ、いとうれしくこそ思ひたまへおかめ。侍らざらむ後なむ、哀に思ひ給へらるべき」とてなき給ふに、この尼君もはなれぬ人なるべし。誰ならむと心得がたし。「行く末の御うしろみは命もしり難くたのもしげなき身なれど、さきこえそめ侍りなばさらにかはり侍らじ。尋ね聞え給ふべき人はまことにものし給はぬがさやうのことのおぼつかなきになむ、はゞかるべきことには侍らねど猶へだてある心ちし侍るべき」とのたまへば、「人に知らるべきさまにて世に經給はゞ、さもや尋ね出づる人も侍らむ。今はかゝる方に思ひ限りつる有樣になむ、心のおもむけもさのみ見え侍るを」など語らひ給ふ。こなたにもせうそこし給へり。

 「大かたの世をそむきける君なれどいとふによせて身こそつらけれ」。ねんごろに深く聞え給ふことなどいひ傳ふ。「はらからとおぼしなせ、はかなき世の物語なども聞えて慰めむ」などいひつゞく。「心深からむ御物語など聞きわくべくもあらぬこそ口惜しけれ」といらへて、このいとふにつけたるいらへはし給はず、思ひよらずあさましき事もありし身なればいとうとまし。すべて朽木などのやうにて人に見捨てられて止みなむともてなし給ふ。されば月比たゆみなくむすぼゝれ、物をのみおぼしたりしもこの本意のことし給ひて後より、少しはればれしくなりて、尼君とはかなくたはぶれもしかはし、碁うちなどしてぞ明し暮し給ふ。行ひもいとよくして法華經はさらなりこと法文などもいと多く讀み給ふ。雪深く降り積み人め絕えたるころぞげに思ひやる方なかりける。年もかへりぬ、春のしるしも見えず、氷