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生ひ出でゝ世間の榮花に願ひまつはるゝかぎりなむ所せく捨てがたく我れも人もおぼすべかめることなめる。かゝる林の中に行ひ勤め給はむ身は何事かはうらめしくも恥しくもおぼすべき。このあらむ命は葉の薄きが如し」といひ知らせて「松門に曉いたりて月徘徊す」と法師なれどいとよしよししう恥しげなるさまにてのたまふ事どもを、思ふやうにもいひ聞かせ給ふかなと聞き居たり。今日はひねもすに吹く風の音もいと心ぼそきにおはしたる人も「あはれ山伏はかゝる日にぞねはなかるなるかし」といふを聞きて、我れも今は山伏ぞかし、ことわりにとまらぬ淚なりけりと思ひつゝ端の方に立ちいでゝ見れば、遙なる軒端より狩衣姿いろいろにたちまじりて見ゆ。山へのぼる人なりとてもこなたの道には通ふ人もいとたまさかなり。黑谷とかいふ方よりありく法師の跡のみまれまれは見ゆるを、例の姿見つけたるはあいなく珍しきに、この恨み侘びし中將なりけり。かひなきこともいはむとて物したりけるを、紅葉のいとおもしろく外の紅にそめましたるいろいろなれば入り來るよりぞ物哀なりける。こゝにいと心ちよげなる人を見つけたらば、怪しくぞ覺ゆべきなど思ひて「暇ありて徒然なる心ちし侍るに、紅葉もいかにと思ひ給ひてなむ。猶立ち返り旅寢もしつべき木のもとにこそ」とて見出し給へり。尼君例の淚もろにて、

 「木がらしの吹きにし山のふもとにはたち隱るべき影だにぞなき」とのたまへば、

 「まつ人もあらじと思ふ山里のこずゑを見つゝなほぞすぎうき」、いふかひなき人の御ことを猶盡せずのたまひて、「さまかはり給へらむを聊見せ給へよ」と少將の尼にのたまふ。