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箱の蓋さし出でたれば、「いづら大德達こゝに」と呼ぶ。初め見つけ奉りし二人ながら共にありければ呼び入れて「御髮おろし奉れ」といふ。げにいみじかりし人の御有樣なればうつし人にては世におはせむもうたてこそあらめとこの阿闍梨もことわりに思ふに、几帳の帷子のほころびより御髮をかきいだし給へるがいとあたらしくをかしげなるになむ、しばしは鋏をもてやすらひける。かゝる程少將の尼はせうとの阿闍梨の來たるにあひてしもに居たり、左衞門はこのわたくしの知りたる人にあへしらふとて、かゝる所につけては皆とりどりに心よせの人々珍しくて出で來たるに、はかなき事しけるみいれなどしける程に、こもき一人してかゝる事なむと少將の尼に吿げたりければ惑ひて來て見るに、我が御上の衣袈裟などをことさらばかりとて着せ奉りて「親の御方を拜み奉り給へ」といふに、いづかたとも知らぬほどなむ得忍びあへ給はで泣き給ひにける。「あなあさましや。などかくあうなき事はせさせ給ふ。上かへりおはしてはいかなる事をのたまはせむ」といへど、かばかりにしそめつるをいひ亂るともものしと思ひて僧都諫め給へばよりてもえ妨げず。流轉三界中などいふにもたちはてゝし物をと思ひ出づるもさすがなりけり。御髮もそぎ煩ひて「のどやかに尼君だちしてなほさせ給へ」といふ。ひたひは僧都ぞそぎ給ふ。「かゝる御かたちやつし給ひてくひ給ふな」など尊き事ども說き聞かせ給ふ。とみにせさせ給ふべくもあらず、皆いひ知らせ給へることを嬉しくもしつるかなとこれのみぞ生ける佛はしるしありて覺え給ひける。皆人々出でしづまりぬ。夜の風の音にこの人々「心ぼそき御住ひもしばしのことぞ、今いと