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る御程にいかでかはひたみちにしかはおぼしたゝむ、かへりて罪ある事なり。思ひたちて心を起し給ふ程は强くおぼせど、年月經れぼ女の御身といふものいとたいだいしきものに」などのたまへば「幼く侍りし程より物をのみ思ふべき有樣にて、親なども尼になしてや見ましなどなむ思ひのたまひし。まして少し物思ひ知りて後は例の人ざまならで後の世をだにと思ふ心深く侍りしを、なくなるべき程のやうやう近くなり侍るにや、心ちのいと弱くのみなり侍るを猶いかで」とてうち泣きつゝのたまふ。怪しくかゝるかたち有樣をなどて身を厭はしく思ひはじめ給ひけむ、ものゝけもさこそいふなりしかと思ひあはするに、さるやうこそはあらめ、今まで生きたるべき人かは、惡しきものゝ見つけそめたるにいと恐しく危き事なりとおぼして「とまれかくまれおぼし立ちてのたまふを三寶のいとかしこくほめ給ふことなり。法師にて聞え返すべき事にあらず。御忌むことはいと易く授け奉るべきを急なることにて罷出たれば今宵はかの宮に參るべく侍り。明日よりや御修法はじまるべく侍らむ。七日はてゝまかでむに仕うまつらむ」とのたまへば、かの尼君おはしなば必ずいひ妨げてむといと口惜しくて、みだり心地あしかりし程にしたるやうにて「いと苦しく侍れば重くならば忌むことかひなくや侍らむ。猶今日は嬉しき折とこそ思ひ侍れ」とていみじく泣き給へば聖心にいといとほしく思ひて「夜や更け侍りぬらむ。山よりおり侍ること昔はこととも覺え給はざりしを、年の老ゆるまゝには堪へ難く侍りければうち休みて內には參らむと思ひ侍るを、しかおぼし急ぐことなれば今日仕うまつりてむ」とのたまふにいと嬉しくなりぬ。鋏とりて櫛の