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けづり給ふを、ことびとに手觸れさせむもうたて覺ゆるに、手づからはたえせぬことなれば唯少し解きくだして、親に今一度かうながらのさまを見えずなりなむこそ人やりならずいと悲しけれ。いたう煩ひしけにや、髮も少し落ちほそりにたる心ちすれど何ばかりも衰へず、いと多くて六尺ばかりなる末などぞいと美しかりけるすぢなどもいとこまかに美しげなり。「かゝれとてしも」とひとりごち居給へり。暮方に僧都ものし給へり。南面拂ひしつらひてまろなる頭つきども行きちがひ騷ぎたるも例に變りていと恐しき心ちす。「母の御方に參り給ひていかにぞ月比は」などいふ。「東の御方は物詣し給ひにきとか、このおはせし人は猶物し給ふや」など問ひ給ふ。「しかこゝに泊りてなむ、心地惡しとこそ物し給ひて忌む事うけ奉らむとのたまひつる」と語る。立ちてこなたにいまして「爰にやおはします」とて几帳のもとにつゐ居給へばつゝましけれどゐざりよりていらへし給ふ。「不意にて見奉りそめてしもさるべき昔の契りありけるにこそと思ひ給へて御いのりなどねんごろに仕うまつりしを法師はその事となくて御文聞え承らむも便なければ、じねんになむおろかなるやうになり侍りぬる。いとあやしきさまに世を背き給へる人の御あたりにいかでおはしますらむ」とのたまふ。「世の中に侍らじと思ひ立ち侍りし身のいと怪しくて今まで侍るを、心憂しと思ひ侍るものから萬に物せさせ給ひける御心ばへをなむ、いふかひなき心ちにも思ひ給へ知らるゝを、猶世づかずのみ遂に得とまるまじく思ひ給へらるゝを、尼になさせ給ひてよ、世の中に侍るとも例の人にて長らふべくも侍らぬ身に」など聞え給ふ。「まだいと行く先遠げな