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えもいはずおどろおどろしきいびきしつゝ、前にもうちすがひたる尼ども二人臥して、劣らじといびきあはせたり。いとおそろしう今宵この人々にやくはれなむと思ふも惜しからぬ身なれど、例の心よわさは一つ橋危がりて歸り來たりけむもののやうに侘しく覺ゆ。こもき共にゐておはしつれど色めきてこの珍しき男のえんだち居たる方に歸りいにけり。今やくるくると侍ち居給へれどいとはかなきたのもし人なりや。中將いひ煩ひて歸りにければ「いと情なくうもれてもおはしますかな。あたら御かたちを」など譏りて皆一所にねぬ。夜中ばかりにやなりぬらむと思ふ程に尼君しはぶきおぼゝれて起きにたり。火影に頭つきはいとしろきに黑きものをかづきてこの君の臥し給へるを怪しがりて、鼬とかいふなるものがさるわざする額に手をあてゝ、「あやし、これは誰ぞ」としふねげなる聲にて見おこせたる、さらに只今くひてむとするぞと覺ゆる。鬼のとりもて來けむほどは物覺えざりければなかなか心やすし。いかさまにせむと覺ゆるむつかしさにもいみじきさまにて生き返り人になりて又ありしいろいろのうき事を思ひ亂れ、むつかしとも恐しとも物を思ふよ、死なましかばこれよりも恐しげなるものゝ中にこそはあらましと思ひやらる。昔よりの事をまどろまれぬまゝに常よりも思ひつゞくるにいと心うく、親と聞えけむ人の御かたちも見奉らず、遙なるあづまをかへるがへる年月をゆきてたまさかにたづねよりて嬉したのもしと思ひ聞えしはらからの御あたりも思はずにてたゞすぎ、さる方に思ひ定め給ひし人につけてやうやう身の憂さをも慰めつべききはめに、あさましうもてそこなひたる身を思ひもて行けば、宮を少