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からにやふさはしからずなむ。物思ふらむ人に思ふ事を聞えばや」など心留めたるさまに語らひ給ふ。「心ちよげならぬ御願は聞えかはし給はむにつきなからぬさまになむ見え侍れど。例の人にてはあらじといとうたゝあるまで世を恨み侍るめれば、のこり少なき齡の人だに今はとそむき侍る時はいと物心ぼそく覺え侍りしものを、世をこめたる盛にては遂にいかゞとなむ見給へ侍る」とおやがりていふ。「入りてもなさけなし。猶聊にても聞え給へ。かゝる御住ひはすゞろなることも哀知るこそ世の常のことなれ」などこしらへていへど「人に物聞ゆらむ方も知らず。何事もいふかひなくのみこそ」といとつれなくて臥し給へり。「まらうどはいづらあなこゝろう、秋を契れるはすかし給ふにこそありけれ」など、うらみつゝ、

 「松むしの聲をたづねてきつれどもまたをぎはらの露にまどひぬ」。「あないとほし、これをだに」などせむれば、さやうに世づいたらむこといひ出でむもいと心うく又いひそめてはかやうの折々にせめられむもむつかしう覺ゆればいらへをだにし給はねば、あまりいふかひなく思ひあへり。尼君はやうは今めきたる人にぞありけるなごりなるべし。

 「秋の野の露わけきたるからごろもむぐらしげれる宿にかこつなとなむ煩はしがり聞え給ふめる」といふをうちにも猶かく心より外に世にありと知られはじむるをいと苦しとおぼす。心の內をば知らで男君をもあかず思ひ出でつゝ戀ひわたる人々なれば「かくはかなきついでにもうち語らひ聞え給はむに、心より外に世にうしろめたくは見え給はぬものをよのつねなるすぢはおぼしかけずともなさけなからぬほどに御いらへばかりは聞え給へか