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を苦しげに思ひて物せらるれば、かゝる谷の底には誰かは尋ね聞えむと思ひつゝ侍るを、いかでかは聞き顯させ給ひつらむ」といらふ。「うちつけ心ありて參り來むにだに山深き道のかごとは聞えつべし。ましておぼしいそふらむ方につけてはことごとに隔て給ふまじきことにこそは。いかなるすぢに他を恨み給ふ人にか、慰め聞えばや」などゆかしげにのたまふ。いで給ふとてたゝうがみに

 「あだしのゝ風になびくな女郞花われしめゆはむ道とほくとも」と書きて少將の尼して入れたり。尼君も見給ひて「この御かへり書かせ給へ。いと心にくきけつき給へる人なればうしろめたくもあらじ」とそゝのかせば「いとあやしき手をばいかでか」とて更に聞き給はねばはしたなきことなりとて「尼君聞えさせつるやうに世づかず人に似ぬ人にてなむ、

  うつしうゑて思ひみだれぬをみなへしうき世をそむく草の庵に」とあり。こたみはさもありぬべしと思ひゆるして歸りぬ。文などわざとやらむもさすがにうひうひしうほのかに見しさまは忘れず物思ふらむすぢ何事と知らねどあはれなれば八月十日あまりのほどに小鷹狩のついでにおはしたり。例の尼呼び出てゝ一目見しより「しづ心なくて」などのたまへり。いらへ給ふべくもあらねば尼君「まつちの山のとなむ見給ふる」といひ出し給ふ。對面し給へるにも「心苦しきさまにて物し給ふと聞き侍りし人の御上なむのこりゆかしく侍る。何事も心にかなはぬ心地のみし侍れば山住もし侍らまほしき心ありながらゆるい給ふまじき人々に思ひさはりてなむ過し侍るに、世に心ちよげなる人のうへはかくくしたる人の心