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うしろみをも同じ心にて物し給へ」など忍びやかにの給ふ。「のたまはせねどいとありがたき御けしきを見奉るまゝに明暮のことくさに聞え侍る。めざましきものになどおぼし許さゞらむにかうまで御覽じ知るべきにもあらぬを、かたはらいたきまでかずまへのたまはすればかへりてはまばゆくさへなむ、數ならぬ身のさすがにきえぬは世のきゝみゝも苦しくつゝましく思う給へらるゝを、罪なきさまにもてかくされ奉りつゝのみこそ」と聞え給へば、「その御ためには、何の志かはあらむ。唯この御有樣をうちそひても得見奉らぬ覺束なさに讓り聞えらるゝなめり。それも又とりもちて、けちえんになどあらぬ御もてなしともに萬の事なのめにめやすくなればいとなむ思ひなく嬉しき。はかなきことにても物心得ずひがひがしき人はたちまじらふにつけて、人のためさへからきことありかし。さなほし所なく誰も物し給ふめれば心安くなむ」とのたまふにつけても、さりやよくこそ卑下しにけれなど思ひ續け給ふ。對へ渡り給ひぬ。「さもいとやんごとなき御志のみまさるめるかな。げにはた人よりことにかくしも具し給へる有樣のことわりと見え給へるこそめでたけれ。宮の御方うはべの御かしづきのみめでたくて渡り給ふことも得なのめならざるはかたじけなきわざなめりかし。同じすぢにはおはすれど今一きはゝ心苦しく」としりうごち聞え給ふにつけても、我がすくせはいとたけくぞ覺え給ひける。やんごとなきだにおぼすさまにもあらざめる世に、まして立ちまじるべき覺えにしあらねば、すべて今はうらめしきふしもなし。唯かのたえ籠りにたるやまずみを思ひやるのみぞ哀に覺束なき。尼君も唯福地の園に種まきてと