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見せたらば心とまり給ひなむかし、昔の人はいとこよなく劣り給へりしをだにまだ忘れ難くし給ふめるをと心ひとつに思ひて「過ぎにし御事を忘れ難く慰めかね給ふめりし程に、覺えぬ人を得奉り給ひて明暮の見物に思ひ聞え給ふめるをうち解け給へる御有樣をいかで御覽じつらむ」といふ。かゝる事こそはありけれとをかしくて、何人ならむ、げにいとをかしかりつとほのかなりつるをなかなか思ひ出づ。こまかに問へどその儘にもいはず。「おのづから聞しめしてむとのみいへどうちつけに問ひ尋ねむもさま惡しき心地して「雨も止みぬ。日も暮れぬべし」といふにそゝのかされて出で給ふ。前近き女郞花を折りて「なににほふらむ」と口ずさみて獨りごち立てり。「人の物いひをさすがにおぼし咎むるこそ」など、こだいの人どもは物めでをしあへり。「いと淸げにあらまほしくもねびまさり給ひにけるかな。同じくば昔のやうにても見奉らばやとて、藤中納言の御あたりには絕えず通ひ給ふやうなれど、心も留め給はず、親の殿がちになむ物し給ふとこそいふなれ」と尼君ものたまひて「心憂く物をのみおぼし隔てたるなむいとつらき。今は猶さるべきなめりとおぼしなしてはればれしくもてなし給へ。この五年六年時の間も忘れず、戀し悲しと思ひつる人のうへもかく見奉りて後よりはこよなく思ひ忘れにて侍る。思ひ聞え給ふべき人々世におはすとも今は世になきものにこそはやうやうおぼしなりぬらめ。萬の事さしあたりたるやうにはえしもあらぬわざになむ」といふにつけてもいとゞ淚ぐみて「隔て聞ゆる心は侍らねど、怪しくていきかへりける程に萬の事夢のやうにたどられてあらぬ世に生れたらむ人はかゝる心地すらむと